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中嶋涼子の足が動かなくなった原因は?高校大学や出身と経歴は?

車椅子インフルエンサーとして活動している中嶋涼子さん。

心のバリアフリーを日本に浸透させたい障がい者に対する壁を壊したい、という思いで活動されています。

知らないことで生まれる障がい者に対する壁を壊し、同じ悩みで孤独を感じている人に共有できる場を作りたいそうです。

そこで中島涼子さんの足がなぜ動かなくなって車椅子生活となってしまったのか、中学高校や出身や経歴などについて気になったので、まとめてみました。

こに記事でわかること

中嶋涼子さんの足が動かなくなった原因

中嶋涼子さんの高校大学や出身と経歴は?

最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

中嶋涼子さんの足が動かなくなった原因

中嶋浪子さんの足が動かなくなった原因は「不明」です。

考えられる原因は、2つあるようです。

9歳までは歩き、運動が大好きな少女だったそうです。

小学3年生だった9歳の時に風邪をひいたそうですが、治っていつも通りに登校するようになりました。

風邪が治って一週間ほど経った1996年の1月16日、いつものように友達と一緒に鉄棒に足でぶら下がる「コウモリ」をして遊んでいたそうです。

5分ぐらいぶら下がり、地面に着地した瞬間、足がふらっとして力が入らなくなったといいます。

友達に抱えられて保健室に行き、1人で休み歩こうと立ち上がった瞬間、足がガクガクになり、転んでしまったそうです。

そのまま救急車で運ばれ、そこから1年間入院することになったそうです。

そこから病院を転々とし、原因もなかなかわからなかったといいます。

3つ目の病院で「横断性脊髄炎」と診断され、

①風邪の菌がたまたま脊髄に入ってしまった

②鉄棒から降りた瞬間の衝撃で脊髄を傷めた

原因は、この2つしか考えられないとの診断だったようです。

ですが、いまだにはっきりした原因はわかっていないそうです。

横断性脊髄炎は、脊髄損傷の人と同じ状態で、中嶋涼子さんの場合は、臍から下の感覚がまったくないそうです。




中嶋涼子さんの高校大学や出身と経歴は?

名前:中嶋涼子

生年月日:1986年7月16日(2021年2月現在34歳)

出身:東京都

中嶋涼子さんは、9歳の時に車椅子生活となり、車椅子歴25年です。

小学3年生で入院し、入院生活は楽しんでいたそうですが、退院して初めて車椅子で街中に出た時に、歩いていた時とはまったく違う世界だったそうです。

色んな人に見られ、人の視線がすごかったといいます。

そして、今まで普通に行っていた場所に1人では行けなくなったり、今までできていたことが1人でできなくなり、悲しくて悔しくて、恥ずかしい気持ちになったそうです。

人に見られることが嫌になり、小学4年生の時に引きこもりがちになったそうです。

そんな時に仲のいい友達から映画に誘われ、映画館は人がいるし、いろんな人に見られるからすごく嫌だと思いながら、いやいや観に行ったそうです。

ところが、その時に観た「タイタニック」を観終わった後に「もう一回観たい」と思い、結果11回も違う映画館に観に行ったそうです。

初めはいやいや観に行った映画が、自分から外に出たいと思う転機となり、違う映画館に通ったことで、いろんな場所に行けるようになる中嶋涼子さんはすごいですね!

しかも、小学4年生だったというから驚きです。

色んな人に見られたり、傷つくことを言われても、タイタニックを観たい気持ちの方が強くて諦めなかったそうです。

タイタニックがきっかけで、人に声を掛けて手伝ってもらう事でどんな場所も行けるようになったそうです。

結果、人に見られる事にも慣れ、引きこもりも治ったそうです。

それ以来、映画が大好きになって映画館に行くのが生きがいになったといいます。

映画を観るうちに、自分が「タイタニックに人生を救われた」ように、いつか映画に携わるようになって、落ち込んでいる人や昔の自分のように生きる希望を失っている人に生きるパワーを与えたいという夢が小学5年生の時にできたそうです。

高校は、9割以上が4年制大学へ進む私立桐朋女子高等学校を卒業しています。

中嶋涼子さんは、映画に携わるという夢を叶えるため、高校を卒業後はアメリカのカリフォルニア大学に留学し、映画芸術学科学部映画評論科に在籍していました。

さらに大学卒業後は、映画製作を本格的に学べるインターナショナルスクールオブモーションピクチャーズという専門学校に入学しました。

行動力がすごいですね!

18歳で渡米し、道端で見知らぬ人に「Hi」と笑顔で声を掛けられ、日本ではそんなことがないので、感動したそうです。

また、知らない人に声を掛けられ、「なんで車椅子に乗ってんの?」と普通に気軽に聞かれたり、そこから生まれる自然な会話がとても心地よかったといいます。

確かに日本人は見たり聞いたりしたら失礼かなといった雰囲気があると思います。

アメリカの気軽に障害のことに触れてくれる環境いいな、それは心のバリアフリーなんじゃないのかなと思ったそうです。

7年間暮らし、自分が障がい者であることを忘れてしまうくらい住みやすい環境だったそうです。

そして、映画の勉強をして日本に戻り、2012年に帰国しました。

帰国後は、通訳を経て夢だった映画の編集マンになったそうですが、日々満足がいかない自分がいたそうです。

なぜなら、居心地がよかったアメリカと違い、エレベーターになかなか乗れなくて見送ったり、車椅子が当たって罵倒されたり、通勤するだけで疲弊していったそうです。

障害を忘れてしまう居心地のいいアメリカに対して、日本では自分が障がい者なんだと感じる日々を過ごしたそうです。

夢だった映画に携わる仕事をしているのに、全然楽しくなく「日本もアメリカのように心のバリアフリーが浸透したらいいのにな」と思うようになっていきました。

そんな時にSNS上で車椅子ユーザーの小澤綾子さん梅津絵里さんに出会います。

女子会に行き意気投合、進行性の難病を抱える小澤綾子さんが「涼子ちゃんをみたら生き生きしていて感動した」「車いすだけどかっこいいと思ってもらえるユニットを一緒にやらない?」と誘われ、すごく嬉しくて「やりましょう」と即答したそうです。

3人で「車椅子ガールズ」を結成、「BEYOND GIRLS」に改め、2017年にスタートしました。

ダンスや歌や講演会を行い、お客さんから「パワーをもらって前向きになれました」「すごく元気をもらいました」という言葉をもらったそうです。

昔タイタニックにパワーをもらったように、この活動を通して人にパワーを与えられるかもしれないという可能性を感じ、人と人との心のバリアを壊せる人になれるかもしれないとも思ったそうです。

居心地の良かったアメリカで学んだ心のバリアフリーを日本に浸透させ、生きやすい社会に変えていきたいと思うようになったそうです。

その活動に集中するために、仕事を辞めて車椅子インフルエンサーに転職しました。

歌・ダンス・講演などを経験し、もっと話すことをしてみたいと思い、しゃべることで人の心を変える人になりたっていきたいと思ったそうです。

「この人オモロ!あ、車椅子なんだ」と思われたくて、YouTubeを始めたそうなので、その時点で面白いですよね!

中嶋涼子さんは、面白いことを言ったりしたり、生配信でふざけたりする一方、時には車椅子ゆえの辛さやバリアフリー情報など真面目なリアルも伝えています。

色々障害があるけどそれを知ってもらう事で偏見や壁を壊せたらいい、自分から壊していきたいという思いで投稿しているそうです。

そして、障害当事者の方々が悩みや辛さをシェアできる場を設けたいそうです。

その他、ダイエットや料理、メインハイチャンネルのコウキさんと一緒に配信したり、とても明るい中嶋涼子さんです。

中嶋涼子さんは、大きな使命を持って生まれてきたんだなと思いました。

これからもいろんな情報を、明るく面白く発信してほしいです。

関連記事:車いす芸人コウキとアラシ(メインハイ)の経歴は?ユウタとの関係も!

まとめ

今回は、車椅子インフルエンサーとして活動している中嶋涼子さんについてまとめました。

9歳の時に原因不明の横断性髄膜炎で車椅子ユーザーとなりました。

私立桐朋女子高等学校から、アメリカのカリフォルニア大学に進学し、映画製作を学び、日本に帰国しました。

アメリカで感じた心のバリアフリーを日本に浸透させたいという思いで活動されています。

感動よりも面白くを追求し、障がい者のリアルをYouTubeで発信したりされています。

日本が心のバリアフリーの国になるよう、中嶋涼子さんの活動を応援していきたいと思います。