こんにちは、るほりです。
もうすぐドラフト会議ですね。
10月17日です。
今年はどんなプロ野球選手が誕生するのでしょうか。
17日はプロ提出届を出した選手はもちろん、ご家族もドキドキではないでしょうか。
今回は、注目高校生野手である石川昴弥選手について調査していきたいと思います。
石川昴弥の読み方や出身と経歴は?
まず、昴弥という名前ですが、なんと読むんだろう?と思いました。
「こうや」?あとは、、、
調べてみると、「たかや」と読むそうです。
野球に詳しい方はご存じだったかもしれませんね。
石川選手の出身や経歴について、書いていきたいと思います。
【名前】 いしかわ たかや
【生年月日】 2001年6月22日(2019年10月現在18歳)
【出身】 愛知県
【小学校】 有脇小学校
【中学校】 亀崎中学校
【高校】 東邦高校
【ポジション】内野手
【投打】 右投右打
【身長】 185cm
【体重】 90㎏
小学2年の時にツースリー大府で野球を始め、6年の時には、中日Jr.でもプレーをしました。
中学校の時には、愛知知多ボーイズに在籍しました。
東邦高校では1年の春からベンチ入りし、3年のセンバツではエース兼三番で30年ぶりの優勝の立役者となりました。
5試合に出場し、20打数6安打8打点、本塁打3本で打率300でした。
しかも背番号「1」のエース番号で投手として全5試合で勝利投手となりました。
打者として一流で、チームの事情だったとはいえ投手としての力もあるなんて、凄いですね!
3年の夏は本職の三塁手に専念しましたが、愛知県大会の2回戦で敗退し、主将として春夏連続出場、春夏連覇を目指しましたが、叶いませんでした。
高校通算本塁打は55本で、「大型三塁手」との呼び声高いです。
出場できなかった夏の甲子園の期間は、JR東海で武者修行をしました。
猛練習の合間には、スポーツジムにも通い、肉体改造を始めました。
甲子園に出場できなかった悔しさを、次の更なるステージへと切り替えました。
高校日本代表に選出され、甲子園の疲労が残るメンバーが多かった中で、石川選手はベストコンディションで東京合宿に入りました。
U-18ワールドカップでは、8試合に出場し、24打数8安打9打点、本塁打1本で打率333と存在感をアピールしました。
守備ではプレッシャーなどから痛恨のエラーを犯し、チームも敗退し、5位という結果で苦い経験もしました。
すべてはプロで活躍するための経験だったのかもしれないですね!
石川選手も「上のステージでこの経験を活かしたい」と話し、目指すは高みのみです。
ぜひ、プロ野球ではこれまでの経験を活かし、更なる進化を遂げて欲しいと思います。
石川昴弥の弟と父もすごい!画像も紹介!
2017年11月20日㈪
中日スポーツ 掲載兄譲りの技術
東邦・1年
石川昂弥選手の弟
中日Jr.
石川瑛貴(てるき)捕手#中日スポーツ#高校野球#石川昂弥#石川瑛貴 pic.twitter.com/ozpbCnEtPU— @愛知県高校野球⚾VICTORY⑧⑨ (@NIKE_VICTORY_89) 2017年11月19日
石川昴弥選手には、4つ下の弟がいます。
弟は瑛貴(てるき)さんといい、石川選手もプレーした中日Jr.で2017年に活躍しました。
石川選手からアドバイスをもらう事もあるそうです。
そして、石川選手を抜くことを目標としているので、数年後には瑛貴(てるき)さんもドラフト会議での注目選手になるのではないでしょうか。
お父さんは尋貴(ひろたか)さんで、東邦高校野球部のOBです。
1989年センバツの甲子園優勝メンバーの同級生です。
尋貴さんはベンチ入りはできませんでした。
お母さんの由香子さんも東邦高校の卒業生で、尋貴さんの1つ下の学年だったそうです。
マネージャーだったという情報もあったので、部活がきっかけだったのかもしれないですね。
お父さんが平成の始まりに甲子園で優勝し、昴弥選手が平成の最後に優勝したという運命的な優勝だったこともわかりました。
これは、凄すぎですよね!
尋貴さんは昴弥選手を保育園の年長から野球教室に入れました。
その後も、地元で一番厳しい野球チームに入れました。
あまりにも厳しい環境で、これでよかったのかと迷ったこともあったそうです。
そんな環境で頑張り続けたからこそ、今の石川昴弥選手があるのでしょうね。
まとめ
石川昴弥の読み方は「いしかわ たかや」でした。
愛知県の出身で、有脇小学校、亀崎中学校、東邦高校へと進みました。
小学校時代は、ツースリー大府、中日Jr.でプレーし、
中学校の時には、愛知知多ボーイズに在籍しました。
東邦高校では1年の春からベンチ入りし、3年のセンバツではエース兼三番で30年ぶりの優勝の立役者となりました。
今年(2019年)のU-18ワールドカップのメンバーにも選出され、本塁打1本を含む打率333の活躍をしました。
弟の瑛貴さんも中日Jr.で活躍する選手です。
お父さんの尋貴さんは東邦高校野球部のOBでベンチ入りこそなりませんでしたが、甲子園で優勝していました。
なんと、石川選手は2019センバツで東邦高校30年ぶりの甲子園優勝を果たしましたが、その30年前の優勝というのがお父さんの学年の優勝の事だったんです!
2つの優勝が平成の最初と最後ということもかなりすごいですが、その間に優勝がなかった事も奇跡のような運命のようなすごさを感じました。
10月17日のドラフト会議では、石川選手のガッツポーズがみられると思うので、楽しみにしたいと思います。
プロ野球選手になっても努力を続け、ファンに愛される素敵な選手になってほしいです。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。