こんにちは、るほりです。
9月14日(土)にワールドカップバレー2019が開幕し、女子の試合が熱戦を繰り広げています。
FIVBワールドカップとは国際(FIVB)が主催する、オリンピック・世界選手権と並ぶ世界3大大会の一つで4年に一度開催されます。
開催国・日本、2018世界選手権の優勝国を含む世界のトップチームが集結し男女各12チームが総当たりで順位を争います。
前回のワールドカップバレー2015で日本男子は2011年大会10位から6位と大躍進でした。
そして、石川祐希選手・柳田将洋選手が大ブレイクしました。
男子の試合は、10月1日から始まります。
今回はワールドカップバレー2019に出場する男子日本代表の石川祐希選手について調査したいと思います。
石川祐希のけがの状態は?
けがの状態はいいようですね!
バレーボール全日本男子のエースで、所属するイタリア・セリエAで今季を終えた石川祐希選手は、充実したシーズンを振り返りました。
今季は26試合全てに先発で出場し、チームの中心選手の地位を確立しました。
アタック310点、ブロック37点、サーブ29点で、計376得点はリーグ12位でした。
やはり「一番大きいのは、大きなけがなく出続けられたこと」と話しています。
過去にはリハビリでシーズン序盤に出場できなかったり、終盤に負傷して離脱したりでけがが多いイメージがありますが、それを払拭するシーズンとなりました。
「トレーニングがしっかりできているときは、ジャンプも高く感じられたり、滞空時間も長いと感じられました」と実感を語っています。
栄養士の指導を受け、現地で手に入る食材を生かして自炊したり、ストレッチの時間を長く取ったりと、セルフケアに気をつけてきました。
自己管理のおかげでシーズン初めより2~3キロ体重が増え、筋肉量もアップしたといいます。
2019年6月7日に行われたバレーボール男子ネーションズリーグの1次リーグでは、世界ランク11位の日本が3-0で同7位のアルゼンチンを破りました。
その試合でエースの石川祐希選手は、1人で28点を挙げて快勝の原動力になりました。
左右、バックから強打をたたきつけ、サーブで連続得点の流れをつくるなど、スパイクで21点、サーブで3点、そしてブロックでも4点の活躍を見せました。
昨年のネーションズリーグは慢性的な膝、腰痛の治療に専念するために欠場しました。
しかし、その休養が今の体調につながっています。
石川選手が欠場した昨年2018年は12位、出場した今年2019年は10位でした。
やはり石川選手の力は大きいんでしょうね!
石川選手は「ワールドカップの先に五輪がある。五輪のために、ワールドカップは結果を出さないとまずいと思う。ワールドカップで上位に入るのが最低ライン。そこを目標にトライしていきたい」と、話しています。
石川選手は、自己管理やトレーニングの成果がでており、いいコンディションが維持できてるようです。
このままコンディションを維持し、ワールドカップ2019では過去最高の成績を残してほしいです。
石川祐希の出身と中学高校と経歴は?イケメン画像も!
石川祐希プロフィール
【名前】 いしかわ ゆうき
【生年月日】 1995年12月11日(2019年9月現在23歳)
【出身】 愛知県岡岡崎市
【小学校】 岡崎市立矢作南小学校
【中学校】 岡崎市立矢作中学校
【高校】 星城高等学校(愛知県豊明市)
【大学】 中央大学法学部政治学科
【所属】
イタリアセリエAのパッラヴォ―ロ・モデナ (2014年12月 – 2015年3月) ↓ イタリアセリエA1のトップバレーラティーナ(2016年12月 – 2017年4月、2017年/18シーズン) ↓ イタリアセリエAのエマ・ヴィラズ・シエナ(2018年/2019シーズン) ↓ イタリアセリエAのパッラヴォ―ロ・パドヴァ(2019年/2020シーズン)
石川選手の父の幹尚さんは元陸上選手で、母のみどりさんは元バスケットボール選手でした。
両親とも実業団に所属していた「スポーツ一家」で、幼い頃からスポーツ万能だった石川選手は最初にサッカーに興味を持ちました。
しかし、地元にサッカーチームがなかったことから、小学校3年生から野球を始めました。
石川選手がバレーボールを始めたきっかけは、一歳年上の姉である尚美さんが所属していたバレーボール部を見学したことでした。
勧められてスパイクを打ったところきれいに決まり、嬉しかったと言います。
小学校4年生でバレーボールを始めました。
岡崎市はバレーボールの盛んな土地柄で、石川選手はバレーボールに打ち込みました。
石川選手の妹は、同じくワールドカップバレー2019に出場し大活躍しているVリーグの東レ・アローズに所属する日本代表の石川真佑選手です。
矢作南小の同学年には、現在ジェイテクトSTINGSに所属するセッターの中根聡太選手もおり、中根選手は当時から、石川選手がスパイクを打つ姿に才能を感じていたそうです。
現在、身長は192cmの石川選手ですが、小学校6年生の時は157cmで、決して恵まれた体格とは言えなかったそうです。
2008年、石川選手は中根選手とともに地元の矢作中学校に進学します。
中学生になると、小学校時代以上に体格差がハンディキャップとなり、なかなかスパイクを決められない日々が続いたといいます。
そのため、石川選手はスパイクフォームを変えたり、瞬時にコースを狙い分けるようにしたり、相手のブロックを利用したりといった工夫を覚えました。
レシーブの技術を身につけることも重要になり、バレーボールのセンスに磨きを掛けていくうちに、石川選手は成長期を迎え、2年生で172cm、3年生で181cmまで身長が伸びました。
3年生になるとキャプテンを任された石川選手は、第40回全日本中学校選手権大会に出場して3位入賞を果たします。
また、第24回全国都道府県対抗中学大会では、愛知選抜のキャプテンを任され、チームを準優勝に導くとともに、優秀選手に選出されました。
そして、矢作中のチームメイトの中根選手と、愛知選抜でともに戦った川口太一(現在は豊田合成トレフェルサ:ウルフドッグス名古屋へ2019年8月にチーム名変更に所属)選手とともに、愛知県豊明市にあるバレーの名門、星城高校に進みました。
石川選手らが在学した時代、竹内裕幸監督が率いる星城高校バレーボール部は「奇跡のチーム」、あるいは「奇跡の世代」と呼ばれています。
1年生からレギュラーに抜擢された石川選手でしたが、インターハイ準々決勝後に腹筋の肉離れを起こしました。
アタッカーとしてスパイクを打つことが石川選手の身体の負担になり、成長が追い付いていないことが原因でした。
竹内監督は身長がこれ以上伸びないことも想定して、石川選手が後衛に回ったときはセッターになるプランを立てました。
2年生では、ウイングスパイカーとセッターを兼任し、2年生中心のチームで高校3冠を達成します。
高校3年生になると、石川選手は現在の身長となり、エースに固定となりキャプテンも任され、その才能を存分に発揮し、2年連続で高校3冠を達成しました。
高校のバレーボールでは、全国高校総体(インターハイ)、国民体育大会、全日本バレーボール高等学校選手権大会(春高バレー)が3大タイトルですが、石川選手は2年生と3年生のときに連続で3冠を達成するという史上初の偉業を達成しました。
石川選手ももちろんすごいですが、同じ時期にすごいメンバーが揃うなんて本当に奇跡みたいですね!
その時のメンバーは、バレーボール選手として現在も活躍中です。
石川選手は高校時代、インターハイでベスト6表彰選手と優秀選手に2度、春高バレーで最優秀選手賞、優秀選手賞に2度選ばれています。
2年生のときに出場した第9回アジアユース男子選手権大会ではベストスコアラーを獲得しました。
そして、高校生活を公式戦99連勝というすごい記録で締めくくりました。
2014年、石川選手は武智選手とともに、元全日本代表の松永理生氏が監督を務める中央大学に進学しました。
そして5月には、南部正司監督が率いる全日本に選出され、9月のアジア競技大会では主力の1人として準優勝に貢献し、シニア代表デビューを果たしました。
12月の全日本バレーボール大学男子選手権大会(インカレ)では、チームを優勝に導き、自身も最優秀選手賞に輝きました。
そして、2014/15シーズンに初めてとなるバレー留学を果たします。
留学先は、イタリアのクラブセリエAのパッラヴォ―ロ・モデナでした。
しかし、出場の機会はほとんどなく、契約期間は1年でしたが、3か月間の留学で終了します。
2015年はFIVBワールドカップの全日本メンバーにも選出され、全日本は6位に終わりましたが、石川選手はセカンドベストアウトサイドスパイカー賞を獲得する活躍でした。
こうしたハードスケジュールに、石川の身体が悲鳴を上げ、リオデジャネイロ五輪出場の懸かる世界最終予選直前の強化合宿で、左膝の炎症により別メニュー、世界最終予選のオーストラリア戦では右足首をひねるという負傷が続いてしまいました。
そして、全日本も五輪出場を逃す結果となりました。
インカレで3連覇達成後には、二度目のイタリア留学を果たしました。
イタリアバレーボールリーグセリアA1のトップ・バレー(ラティーナ)への留学で、2016年12月の全日本大学選手権終了後から約3か月間でした。
ラティーナでは出場機会を得ることができ、2017年9月から再びラティーナに留学し、3回目のイタリア挑戦は、シーズン開始からのチーム合流となりました。
リオデジャネイロ五輪終了後、全日本の監督が交代し、中垣内祐一新監督が就任し、石川選手は新監督の下、2017年7月の世界選手権アジア最終予選の全日本メンバーに選出され、1位で世界選手権(世界バレー)出場のキップをつかみました。
その後行われたアジア選手権で、全日本が優勝しました。
石川選手は大会MVPに選出され、順風満帆に思われましたが、2017年9月のワールドグランドチャンピオンズカップ(グラチャン)で、右ひざを負傷しました。
大会前からの腰痛もあり、本来の力を発揮することができず、全日本も5戦全敗という結果となりました。
そして12月、インカレ4連覇を目指してイタリアから一時帰国した石川選手でしたが、かつてチームメイトだった中根選手が所属する筑波大学に準決勝で敗退し、3位決定戦で東海大学に勝利したものの、大学最後のインカレで優勝を逃すという悔しい結果となりました。
石川選手は大学卒業後、プロを宣言し、2018年6月、セリエAのエマ・ヴィラ・シエナに入団することを発表しました。
7月に全日本に復帰し、9月に行われた世界バレーに出場しましたが、全日本は2勝3敗で1次リーグ敗退となりました。
2019/2020シーズンは、イタリアセリエAのパッラヴォ―ロ・パドヴァです。
イケメン画像も!
まとめ
今回はバレーボール男子日本代表で、イタリアのセリエAでプロとして活躍する石川祐希選手について調査しました。
石川選手は、全日本のエースで、日本には欠かせない存在ですが、けがが多く、思うような結果が残せない事がありました。
開催中のワールドカップ2019では、10月1日より男子の試合が始まります。
今は大きなケガもなく、いいコンディションが維持できているようです。
愛知県岡崎市の出身でバレーボールが盛んな地域です。
岡崎市立矢作中学校からバレーボールの強豪校である星城高等学校(愛知県豊明市)に進学し、2年生と3年生のときに連続で3冠を達成するという史上初の偉業を達成しました。
中央大学でもインカレで4年生の時は3位に終わりましたが、1年生から3年生まで3連覇を果たしました。
大学在学中からイタリアのセリエAでの留学を経験し、卒業後はプロを宣言し、2018年/19シーズンはイタリアのセリエAのエマ・ヴィラズ・シエナに入団し、2019年/20シーズンはイタリアセリエAのパッラヴォ―ロ・パドヴァです。
ワールドカップバレー2019の男子の試合がいよいよ来週から始まります。
海外組が中心に日本チーム一丸となって、上位目指して頑張ってほしいです。
石川選手のスパイクも楽しみです。
がんばれ、ニッポン!
最後まで、お読みくださりありがとうございました。