こんにちは、るほりです。
12月6日(日)に、福岡国際マラソンが開催されます。
国内招待選手は東京オリンピック代表に内定している服部勇馬選手、藤本拓選手、川内優輝選手、岡本直己選手、作田直也選手、福田穣選手、大塚祥平選手です。
今回は陸上の強豪プロチーム「NNランニングチーム」にアジア人として初めて加入が決まったプロランナーの福田穣選手について以下の内容でまとめてみました。
福田穣の嫁や子供は?
福田穣の中学高校大学と出身や経歴は?
福田穣の嫁や子供は?
福田穣選手は、結婚し、奥さんと子供さんがいます。
奥さんとの出会いは、中学校の陸上部です。
嫌々参加した陸上の練習でしたが、当時気になっていた女の子も陸上のメンバーで、練習に行けば夏休みもしゃべれるかなと、そのまま参加することにしました。
その気になっていた女の子こそが現在の奥さんだったそうです。
奥さんがいなかったら陸上をしなかったかもしれないので、奥さんの存在は福田穣選手には、なくてはならない存在だったのではないでしょうか。
お付き合いを始めたのは、社会人になってからだそうです。
奥さんは福田穣選手のプロ転向について「中途半端にやるのはどうかと思う。本気だったらついていく」と後押ししてくれたんだそうです。
大きな挑戦を応援してくれる奥さんがいることは大きな支えで、大きな力のなるのではないでしょうか。
そして福田穣選手には子供さんもいます。
2016年12月生まれの長男・丞(たすく)くんです。
もうすぐ4歳のようです。
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丞くんは、英語の発音いいですね~
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素敵な夫婦で、素敵な親子ですね~
愛犬のレオくんもかわいいですね~
奥さんと子供さんを支えと力にして、頑張ってるんでしょうね~
福岡国際マラソン、楽しみです!
福田穣の中学高校大学と出身や経歴は?
名前:福田 穣(ふくだ じょう)
生年月日:1990年12月31日(2020年11月現在29歳)
出身:福岡県
中学:玉名中学校(熊本県)
高校:大牟田高等学校(福岡県)
大学:国士舘大学
卒業後:八千代工業(実業団)→西鉄(実業団)→プロランナー
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福田穣さんは、福岡県生まれ、熊本育ちです。
中学生の時は意外にもソフトテニス部だったようです。
ソフトテニスを引退したある日、陸上の選抜メンバーだった友達に漫画本を借りたくて練習を待っていた時、陸上を担当していた怖い先生に声を掛けられて、断ることができず、陸上の練習に参加することになったそうです。
初めは嫌々だったそうなのですが、のちに奥さんになる気になっていた女の子が長距離のメンバーで、練習に行けば夏休みもしゃべれるかな、と思いそのまま参加することにしたんだそうです。
素敵ですね!
陸上を始め、最初は全然ついていけなかったそうですが、1か月くらい練習したら1500mで40秒タイムを縮めたんだそうです。
走れば走るほど早くなるのが楽しくなってきて、気づけば中学内で一番早くなったそうです。
駅伝の選手にも選ばれ、地区大会では1区を任され、全国大会出場経験のある他校とエースと秒差の走りをしたそうです。
この活躍により、福岡の名門・大牟田高等学校から声を掛けられたそうです。
陸上を始めたことで、その後の進路が大きく道が変わったのではないでしょうか。
中学を卒業した福田穣選手は、大牟田高等学校に進学しました。
周りは中学時代に全国大会を経験した人ばかりで初めはジョグにもついていけなくて、いつも最下位だったんだそうです。
チームメイトに悔しいことを言われたりしたそうですが、その悔しさを原動力にとにかく「人より走る」ことを意識してがむしゃらに練習に取り組んだんだそうです。
その結果、秋のレースでは同級生の中でトップになることができたそうです。
福田穣選手は、努力の人なんですね!
駅伝ではなかなか結果を出せなかったそうですが、高校2年、3年時に全国高校駅伝に出場しています。
2007年第58回高校駅伝 4区に出場
2008年第59回高校駅伝 6区に出場
高校時代は怪我にも悩まされ、希望していた実業団を諦めなければならなかったようですが、陸上に興味がなかったころからみていた箱根駅伝に対する憧れもあり、大学へ進学することにしたそうです。
高校卒業後は国士舘大学へ進学しました。
知ってる先輩もおり、当時の監督が熱心に声を掛けてくださり、体育の教員免許が取れることも進学の決めてとなったそうです。
国士舘大学では2年時に全日本大学駅伝、3年時には憧れだった箱根駅伝に出場しました。
第88回箱根駅伝 1区に出場
憧れだった箱根駅伝の舞台は、高揚感がすごく、信じられない気持ちやワクワクした気持だったそうです。
大学卒業後は実業団の八千代工業に入社しました。
2014年ニューイヤー駅伝3区に出場
2015年ニューイヤー駅伝7区に出場
2016年ニューイヤー駅伝7区に出場
2016年にはびわ湖マラソンで初マラソンを走りました。
結果は2時間19分6秒で35位でした。
そして、2016年に西鉄に移籍しました。
フルマラソンを走る力がなく、自分がレースで先頭を走るイメージが全く持てなかったときに高校時代の監督に会い「もっと真剣にやってみろ」と怒られたんだそうです。
そこで何が足りないのか、何を変えればいいのかなど考え、覚悟が足りないことに気づいたそうです。
「自分よりも才能ある選手たちがものすごく努力している世界で本気でトップを目指すなら、原点に立ち返ってせめて練習量だけは誰にも負けないようにしよう」と覚悟を決めたんだそうです。
そこから北海道マラソンまでの4か月間の練習で4,000㎞走り、レース本番で3位になりました。
2018年ゴールドコーストマラソンでは自己ベストの2時間9分52秒を記録し3位(日本人2位)をマークしました。
2018年福岡国際マラソンで7位に入り、MGC出場権を獲得しました。
2019年MGCでは22位、同年の福岡国際マラソンにてMGCファイナルチャレンジに挑戦し、オリンピック出場権は逃しましたが、2時間10分33秒で3位に入賞(後に繰り上げで2位)しました。
福田穣選手は、「人より走る」ことで結果が出てきた経験があり、このスタイルを続けていくようです。
練習量で負けてないという自信から、余計な緊張をせず、リラックスした状態で楽しく走れているそうです。
2020年8月、西鉄を退社し、プロランナーに転向しました。
世界最強のマラソン軍団『NN Running Team』への所属も決まりました。
MGCなど、世界レベルの選手と戦う機会も増えたことで「このままじゃ全然届かない」と実感し、さらに上を目指すために、後悔しないために環境を変えてチャレンジしてみたいということで、プロに転向したんだそうです。
NN Running Teamに所属し、今後は日本とケニアの2拠点で世界レベルの環境に身を置き、挑戦していくようです。
プロ転向は勇気がいったと思いますが、福田穣選手は「思い立ったが吉日」で変化を楽しめるタイプなんだそうです。
福田穣選手の「人より走る」努力や上を目指しプロ転向し頑張ってる姿に励まされました。
まとめ
今回は、12月6日(日)に開催される福岡国際マラソンの国内招待選手として出場する福田穣選手についてお伝えしました。
福田穣選手は、中学時代に気になっていた奥さんと結婚し、12月で4歳になる子供さんがいます。
とても素敵な奥さんと子供さんです。
玉名中学校、大牟田高等学校、国士舘大学を卒業し、実業団の八千代工業、西鉄を経て、今年の8月にプロのランナーに転向しました。
世界最強のマラソン軍団『NN Running Team』への所属も決まり、世界のトップレベルの中で挑戦しています。
福田穣選手のことを知り、「人より走る」ことや上を目指して努力している姿に感動し、ファンになりました。
過去の福岡国際マラソンで結果を残している福田穣選手なので、優勝の可能性もあるのではないでしょうか。
テレビの前で応援したいと思います。