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スポーツ

根木慎志Wikiプロフィールは?絶望から救ってくれたものとは?

東京パラリンピックのコメンテーターとして出演されている根木慎志さん。

コメンテーターをされているのを見て根木慎志さんを知りましたが、コメントなどを聞くと、とても謙虚で笑顔が素敵で優しそうで、どんな人なんだろうと思いました。

そこで今回は

根木慎志のWikiプロフィールは?

根木慎志を絶望から救ってくれたものとは?

奥さんとお子さんについても!

についてお伝えしていきたいと思います。

根木慎志のWikiプロフィールは?

根木慎志プロフィール

名前:根木 慎志(ねぎ しんじ)

生年月日:1964年9月28日(2021年8月現在56歳)

出身:岡山県生まれ→3歳で奈良県大和高田市へ

高校:県立香芝高等学校

趣味:料理

座右の銘:「出逢った人と友達になる」

職業:スポーツ文化人

仕事内容:講演、トークショー、体験教室、広告

《所属》

公益財団法人 日本パラリンピック委員会運営委員

一般社団法人 アスリートネットワーク副理事長

日本財団パラリンピックサポートセンター推進戦略部「あすチャレ!」プロジェクトディレクター

Adopted Sports.com代表

日本財団HEROsアンバサダー

その他多岐にわたる活動

 

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体を動かすことが大好きなスポーツ少年で、高校の卒業を目前に交通事故が原因で、脊髄を損傷し車椅子の生活となりました。

卒業後の進路も決まり車の免許取り立てで、レンタカ―を借り、友達の家に遊びに行く途中の事故だったそうです。

何の変哲もないまっすぐな道で、緩やかなカーブだったのにハンドル操作を誤ってしまい、正面から木に激突し、ぶつかった衝撃でフロントガラスから外に放り出され、そこに自分の運転していた車が体の上に乗っかってきたんだそうです。

九死に一生だったんですね。

根木慎志さんは小学校の頃は柔道で全国大会に出場したり、中学校では水泳の個人メドレーで奈良県の記録を作ったり、高校ではサッカー部に所属したそうです。

そんなスポーツ中心の生活だったこともあり、自分の足で走れなくなったことに、ショックは大きかったといます。

「大変なことになってしもた。これからどうやって生きていけばええんやろ。」とただただ不安の毎日だったそうです。

そんな時に、地元の車いすバスケットボールチームの選手が病院に訪れ、バスケットに誘われたのが車椅子バスケットボールを始めたきっかけなんだそうです。

その人がめっちゃ可愛いマネージャーを連れてきて、その子が「バスケやるとメチャメチャモテるよ」って言ったり、モテそうにない先輩からも「めちゃモテる」と言われ、久しぶりに笑ったんだそうです。

そこから打ち解けていったそうです。

練習を見に行くことになり、車で迎えに来てもらった時にてっきりマネージャーが運転すると思っていたら車椅子の選手が運転することに驚き、一緒に行動するうちに車いすでも色んなことができるとわかって、徐々に憧れの人になっていったそうです。

退院後すぐに練習を開始し、2年後にはレギュラー、全国大会出場、その後全国大会3連覇を達成したそうです。

体を動かすことが大好きというだけあって、どんどん上達していったんでしょうね。

そして、36歳だった2000年のシドニーパラリンピックでは、車椅子バスケットボール日本代表キャプテンとして出場されました。

ここまで順調だった選手生活だったのかと思いましたが、実はシドニーの前回大会だった1996年のアトランタ大会に照準を絞っていたんだそうです。

ところが、最終選考で落ちてしまい、悔しくて悔しくて腐りかけていたそうです。

同じアスリートが活躍している映像を観るのがつらくて、オリンピックの期間中は一切テレビを観なかったそうです。

オリンピックが閉幕して、もうそろそろいいかなとテレビのスイッチをつけた時に偶然にも車いすバスケットボールの代表選手が最高の笑顔で映し出されており、それがパラリンピックの開会式だったんだそうです。

パラリンピックはすごい大会だと思うと同時に、悔しがってるだけで何もしてない自分に腹が立ってきて、「よし、4年後は絶対に行ってやるぞ」と誓ったそうです。

そして、そこからの努力で4年後のシドニーオリンピック出場を果たし、しかもキャプテンとして出場されました。

根木慎志さんは20代の頃から、全国の小中高等学校、企業に向けて、「出会った人と友達になる」をキーメッセージに、車椅子バスケや障がいへの思いを伝える講演も続け、36年間で訪れた学校は、3600校80万人になるそうです。

この活動が評価され、法務大臣表彰状(ユニバーサル社会賞)を受賞されています。

誰もが違いを認めて素敵に輝く社会を目指して多方面で活躍されています。

根木慎志を絶望から救ってくれたものとは?

根木慎志さんは高校卒業間近の18歳の時に交通事故にあい、車いす生活となりました。

スポーツ少年だった根木慎志さんを絶望の淵から救ったものは何だったのでしょうか。

もちろん車いすバスケットとの出会いが大きかったと思いますが、他にもありました。

友達の存在、講演活動などの感動のエピソードを紹介します。

まず友達ですが、約1年半の入院中に仲の良い友達数人がローテーションを組んで、毎日誰かがお見舞いに来てくれたんだそうです。

いくら仲が良くても凄いですよね!

根木慎志さんが、愛されているということですね!

根木慎志さんは、友達が来たときは気丈に振る舞い楽しそうにしていたそうですが、夜に泣いている事がどこからか友達の耳に入り毎日来てくれるようになったと後から聞いたそうです。

大学の授業終わり、バイトの合間、仕事帰りなどにきて、病室の部屋にあるお菓子を食べたりジュースを飲みながら、話をしていたそうです。

本心を知らない根木慎志さんは、「お前ら、俺の部屋に飯食いに来てるだけだろ!」と思った時もあったそうですが、本心は励ますためだったんです。

さらに凄いエピソードがあり、親友の方々は根木慎志さんの病室に行く前に集まり、「根木ミーティング」をしていたそうです。

その時に将来の話になり、根木慎志さんがこれから仕事もないだろうから、みんなで稼いで小遣いあげたり、家を建ててあげたりしないといけないなと話していたそうです。

そしてそのための貯金の計画も立てていたんだそうです。

18、19歳だったそうですが、車椅子イコール仕事がない、そこから小遣いをあげる、家を建ててあげるという発想が素敵すぎると思いました!

みんなで出掛ける時には、担当医に緊急時のことを聞いてくれたり、事前に車いすトイレの場所を調べていてくれたり、すごく重い車椅子を交代で持ってくれたり、おぶってくれたりしたそうです。

そして、おぶってもらう時に「俺はおぶってやるけど、お前もしっかり捕まってろ!」「お前はお前でできることやれ!」「俺らも車椅子持ってるんだから、お前も頑張れ」と怒ってくれたことが嬉しくて泣いてしまったそうです。

それまでは足のことには触れないように気を遣って、優しい言葉だけかけてくれた友達がそんなことを言ったことが嬉しかったんだそうです。

素敵な友情ですね!

8人グループで、退院して10年くらいは毎年正月に集まっては、この話してはみんなで「ええ話や」と泣いていたそうですよ。

親友の方々の存在は、大きな支えだったんでしょうね。

でも、親友の方々にとっても根木慎志さんの存在は、色んなことを頑張れる力だったのではないでしょうか。

そして講演の存在も、絶望から救ってくれたのではないでしょうか。

最近の講演は、車椅子バスケの実演などパフォーマンスも行い、パラリンピックの元車椅子バスケ日本代表がくるのを楽しみに待っている子供がたくさんいるんだそうです。

講演会や体験会はパラリンピックに出る前の20代から始めたそうです。

でも、始めた当初は実演もなく、暗い講演会だったそうです。

車椅子バスケを始め、スポーツってやっぱりすごいと思うと同時に、やっぱり車いすの生活は大変だなと感じていた時に中学時代の恩師から講演の話がきたそうです。

講演をすることにした根木慎志さんは、当初はどんな話をすればいいかわからなかったそうです。

恩師は、車いす生活がいかに大変か、障がい者が日常生活を送るのがどんなに困難か、そんなことを話せば障がい者理解に繋がるだろうと言われたそうです。

先生のいうことも間違ってないし、現実な部分もあると思う一方、でもなんか変だなと「それはおかしい」と文句を言ったそうですが、「先生のいうことも一理あるしなぁ」と自問自答しながら、講演会に行ったそうです。

当時は会場が障がい者を迎える暗い感じで、暗い雰囲気の中で話していたそうです。

恩師のアドバイスに従い、雨の日は傘をさせないから大変だし、階段は使えない、と、困難に次ぐ困難を強いられる話をして、泣いていた人もいたそうです。

講演は評判となり、講演依頼が増えていったそうです。

根木慎志さんは、周りの人に理解してもらえてよかったなと思う気持ちと子どもたちも暗く「やっぱり、どこかスッキリしないなぁ」と思う自分がいたそうです。

講演をやりながらバスケの練習をしていた根木慎志さんは、バスケ初心者で全然シュートが入らなかったそうですが、先輩たちがガンガン決めているすごさや車椅子バスケの周りには車椅子で生活している色んな年齢の人がたくさんいる光景を見て、「人間ってすごいな、人間の可能性っていっぱいあるんだな」と思ったそうです。

ある日根木慎志さんは、先輩から借りた車椅子を講演に持っていき、その学校の先生から「子どもたちが喜ぶから車椅子で動くところを見せて下さいよ」って言ってくれてビューんって走った時に子どもたちが「すごい!かっこいい!」って言ってくれたんだそうです。

かっこいいとか言われたことはなく、講演内容も車椅子で困ることや大変なことなどの話だったので、「かっこいい!」と言われたことは衝撃だったそうです。

そのできごとで、それまでは自分は可哀想な人で、周りがサポートする人だと思っていたそうですが、バスケの力が「憧れの存在」に変えてくれたそうです。

また、それまで根木慎志さんは、障がい者に対する理解を深めてもらおうと講演していて、それで十分だと思っていたそうです。

でも車椅子の人たちは、困ることもあるけれど一人の人間で、生活が大変だけど楽しいことも知っているということも絶対伝えなくちゃいけないなと子どもたちが気づかせてくれたといいます。

講演をしたことで気づいた思いがあり、子どもたちから学んだことがたくさんあるようですね。

筆者も根木慎志さんの講演を聞いてみたくなりました。

根木慎志の奥さんとお子さんについても!

根木慎志さんの奥さんとお子さんの面白いエピソードを見つけたので紹介します。

根木慎志さんは、30歳の時に4つ下の奥さんと結婚されました。

出会いはなんと地元の洗車場だったそうです。

2人とも洗車をしていたそうですが、奥さんが根木慎志さんの方をめっちゃ見てきたそうです。

目が合って挨拶して、奥さんは車のルーフを拭くのを手伝ってくれたそうです。

そこで連絡先を交換して、つきあうようになったそうです。

なんか、運命の出会いですね!

でも実は、奥さんは看護師で仕事で車椅子の患者さんを担当していて、足が動かなくても運転できる車があると聞き、その車を洗車場で見つけたので、根木慎志さんじゃなくて、車を見たいと思ったそうです。

根木慎志さんの優しそうな雰囲気にももちろん惹かれたんでしょうね笑

奥さんとの面白いエピソードがありました。

車でデートしてた時の話でした。

喉が渇くと、根木慎志さんは車を自動販売機の横に止めて奥さんにジュースとかコーヒーとかを買ってきてもらうそうですが、何回か繰り返した時に、奥さんが突然ブチ切れたんだそうです。

「あんたなぁ!何命令しとんのや!」

「もちろん私が降りて行って買いに行った方が速いのはわかるけど、私だって仕事で疲れているし、10回に1回くらいは自分で買いに行ったらどうなん!!」

と。

この人の言ってることって、間違ってないよな、いや、めっちゃ正しい、一人の人間として公平に見てるなと思ったそうです。

根木慎志さんには、お子さんもおられ、2019年2月のインタビューで21歳と言われていたので、現在は23歳か24歳だと思われます。

お子さんは息子さんで、小さい頃はサッカーをしていたそうです。

根木慎志さんは、バスケをしてくれたらと思っていたそうです。

すると中学になったら

バスケやるって言い出したそうです。

「バスケとサッカーは全然違うぞ」って根木慎志さんが言うと息子さんは「本当はバスケがやりたかったんだ。でもお父さん日本代表やんか。比べられるのも嫌やし、俺はバスケ上手いと思うけど、お父さんの息子やから」と嬉しいことをいってくれたそうです。

かわいい息子さんですね!

息子さんが免許を取って車に乗り出した時に、根木慎志さんは、自分がなぜ車椅子なのかを話したそうです。

「お父さん、車いす生活も悪くないけどな、ちょっと心配してるよ」って話したそうです。

そこに奥さんの話がまた面白いです。

それを聞いていた奥さんは

「家族の中に、車椅子2台あったら邪魔でしょうがない、そやから、ならんといてや」と息子さんに笑って言ってたそうです。

エピソードも面白いですが、関西弁が更に面白くしてくれる感じがします笑

奥さんと息子さんとの素敵な関係も明るい根木慎志さんを作ってるのではないかと感じました。

まとめ

根木慎志さんは、「自分が出会った人と友達になるのが僕のライフワークだ」と講演で話しているそうです。

根木慎志さんのWikiプロフィ―ル、絶望から救ってくれたもの、家族の存在を知り、

ますます根木慎志さんのファンになりました。

誰もが違いを認めて輝ける社会にしたいなと思って活動している根木慎志さんを応援したいと思いました。

スポーツを通し、選手だけじゃなく応援してる人も輝いているそれを認められる社会になりたいし、それを伝えるのがミッションと話されています。

筆者もそんな社会に早くなることを願いたいです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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