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藤本怜央の高校大学や出身など経歴は?嫁の支えでケガから復帰!

東京パラリンピックは盛り上りました。

頑張る姿は感動で、何度もの涙が出ました。

個人競技も面白かったし、車椅子バスケなどチームで戦う競技も面白かったです。

今回は特に車椅子バスケに注目しました。

そこで今回は車椅子バスケの注目選手の1人である藤本怜央選手について

藤本怜央の高校大学や出身など経歴は?

嫁の支えでケガから復帰!

についてお伝えしていきたいと思います。

藤本怜央の高校大学や出身など経歴は?

藤本怜央選手の高校大学や出身など経歴をみていきたいと思います。

藤本怜央プロフィール

名前:藤本 怜央(ふじもと れお)

生年月日:1983年9月22日(2021年8月現在37歳)

出身:静岡県

高校:静岡県立島田工業高等学校

大学:東北福祉大学

所属:SUS株式会社/宮城MAX、BGハンブルク(ドイツのブンデスリーガ)

 

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小学3年生の時に自転車で事故にあい、右足のひざから下を失いました。

毎日見舞いに来てくれる担任の先生のおかげで退院してからも以前と同じような生活ができたそうです。

毎日お見舞いに来てくれるなんて、素晴らしい先生ですね!

そのおかげで前向きになり、小学校の時にはサッカーをするほど活発だったそうです

ですが、やはりサッカーは足を使うので限界があり、中学高校時代は、義足を着けて健常者と一緒にバスケットをしていたそうです。

そして、高校3年生の時に車椅子バスケと出会い、本格的にトレーニングを開始したんだそうです。

立ってやるよりスピーディーで面白いとのめり込んでいったそうです。

大学に入学したのと同時に現在所属している宮城MAXに入団しました。

なんとその1年後の2002年、19歳の時に車椅子バスケ日本代表に選ばれました。

中学高校時代に健常者と一緒にバスケットをしていた経験が大きく活かされたんでしょうね!

2004年:アテネパラリンピック 8位

2008年:北京パラリンピック 7位

2012年:ロンドンパラリンピック 9位

2016年:リオパラリンピック 9位

今回の東京パラリンピックは5回目の出場です。

過去最高順位は7位です。

日本選手権では11年連続で得点王、2010年の世界選手権でも得点王となり、輝かしい成績を収めています。

藤本怜央選手は、キャプテン&エースとして臨んだ2016年では、史上初のメダル獲得を本気で狙いましたが、結果は2012年のロンドンパラリンピックと同じ9位でした。

リオパラリンピックを終え、漠然と「代表引退」を考えながら帰国したそうです。

そこから手術し、復帰を果たしました。

そんな藤本怜央選手は東京パラリンピックを代表としての最終章と決めているそうです。

そして、東京パラリンピックは過去最高順位の7位を大幅に上回り、銀メダル獲得という、最高の結果でした。

しかも、決勝のアメリカ戦では互角の戦いでした。

藤本怜央選手は、個人ファールを4つしてしまったので、もしそれがなかったらもっと出場時間が長く、日本は勝ったのではないかと思いました。

もう少しで金メダルを獲得するところまで日本は強くなっています。

藤本怜央選手にはもう少し続けてプレーしてもらい、金メダル獲得のため、活躍してほしいです。

藤本怜央は嫁の支えでケガから復帰!

藤本怜央選手は、19年という歳月を日本代表に捧げ、チームの大黒柱として活躍してきました。

そんな藤本怜央選手は、リオパラリンピックの後、引退を考えていた時がありました。

そんな藤本怜央選手をもう一度世界の舞台に戻したのは、奥さんの優さんのひと言でした。

奥さんの支えで、藤本怜央選手はケガから復帰したのです。

 

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奥さんの優さんとは、2014年に結婚されています。

優さんは3歳年下で、藤本怜央選手が所属している車椅子バスケチーム宮城MAXのマネージャーでした。

10年以上の交際を経て結婚され、結婚5周年を迎えられています。

実はリオパラリンピックの前から藤本怜央選手は変形性肘関関節症で右肘を痛めていました。

日常生活にも支障をきたすほどの激痛が襲っていたそうですが、リオパラリンピックの大会期間中は、鍼治療やマッサージで痛みを緩和することしかできなかったそうです。

「ちゃんと肘を治して、もう一度頑張ってみたら?」

奥さんの言葉で「そんな状態の自分で果たしてやりきったと言えるだろうか」と奥さんの言葉で気づき、同じくらい覚悟を持って支えてくれる家族がいることを感じ、その家族のサポートを受けて、もう一度だけやってみようと思ったそうです。

でも待ち受けていたのは、茨の道だったと言います。

2017年春に肘の治療にとりかかり、その後炎症がみつかった右肘を手術したそうです。

長いリハビリを経て、復帰しました。

代表に復帰すると、そこに藤本怜央選手が知る日本のバスケはなかったそうです。

若手が台頭し世代交代が進むなか、完全にトランジションバスケにシフトチェンジしていたそうです。

藤本怜央選手は車椅子バスケ人生で初めて危機を募らせたそうです。

世界にどう勝つかより以前に、存在意義を確立させなければ代表に残れない立場だと痛感したそうです。

誰より後れをとり、年齢を考えても簡単にいかないことは想像でき、そして覚悟を決めたそうです。

しんどいと思う一方で、彼らと一緒に高いレベルでできたら、きっと金メダルが取れるという確信があったそうです。

そこからの藤本怜央選手は、完全復活をとげました。

奥さんの支えでここまで来られたと思います。

テレビで特集されているのをみて、素敵なご夫婦だと思いました。

まとめ

今回は、東京パラリンピックの車椅子バスケ日本代表の藤本怜央選手についてお伝えしました。

出身は静岡県で、静岡県立島田工業高等学校、東北福祉大学を卒業されています。

10年以上のお付き合いで結婚された奥さんの優さんのひと言で、復活を決意され、ケガからの復帰を果たされました。

東京パラリンピックでは、大活躍の藤本怜央選手でした。

金メダルにはあと一歩でしたが、見事な銀メダルおめでとうございました。

感動をありがとうございました!

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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