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スポーツ(陸上)

白石黄良々の名前の読み方と由来は?高校大学と経歴は?画像も!

こんにちは、るほりです。

世界陸上ドーハ大会が盛り上がっていますね!

50㎞競歩で鈴木雄介選手が、20㎞競歩で山西利和選手が見事に金メダルを獲得しました。

世界陸上での金メダルは、鈴木選手が史上5人目、山西選手が6人目の快挙です。

素晴らしいですね!

今回は、4×100mリレーの白石黄良々選手について調査していきたいと思います。

予選で日本は、日本歴代3位タイの記録を出し、南アフリカに次ぐ2着でした。

白石選手は2走者でした。

全体でも英国の37秒56、南アフリカの37秒65に次ぎ、日本は37秒78で3位に入り、決勝進出を決めました。

決勝は5日(日本時間6日未明)です。

メダル獲得となるのでしょうか。

白石黄良々の名前の読み方と由来は?

黄良々と書いて「キララ」と読むようです。

珍しい名前で、しかも男性だったのでびっくりしました!

インパクトがあって、すぐに覚えました。

白石選手は、個人では男子200mに出場しました。

予選6組/5位(20.62)全体の31位で予選敗退でした。

名前の命名者はお母さんだそうです。

映画「幸福の黄色いハンカチ」の大ファンで、人に幸せを与えられる良い人になって欲しいという願いで名付けられたそうです。

白石選手もこの名前を気に入っているそうです。

競技力より名前で覚えてもらう事が多く、名字ではなく、「黄

良々くん」と呼ばれる方が嬉しいんだそうです。

黄良々選手にはお兄さんがいます。

黄良々選手の3つ上で、青に良と書いて青良(せいら)さんと言います。

今年から所属企業と契約を結び、正式に黄良々選手のトレーナーになりました。

試合や遠征に同行し、体のコンディションを整えたり、練習の映像を撮影しアドバイスを送るなど黄良々選手を陰からサポートしています。

落ち込んだ時は、気持ちを前向きにしてくれる言葉を投げかけてくれたり、メンタル面で大きな支えだといいます。

鹿児島から同じタイミングで上京し、心強い存在がそばにいることで、白石選手は進化していってるのではないでしょうか。

白石黄良々の高校大学と経歴は?画像も!

白石 黄良々プロフィール

【名前】   しらいし きらら

【生年月日】 1996年5月31日(2019年10月現在23歳)

【出身】   鹿児島県

【中学】   米ノ津中学校

【高校】   出水商業高等学校

【大学】   大東文化大学スポーツ科

【所属】   株式会社セレスポ(2019年4月入社)

【身長】   180cm

【体重】   74㎏

【競技種目】 100m、200m

【自己ベスト】100m:10秒19、200m:20秒17

地元の中学校のサッカー部に所属していた白石選手は、中学2年生の時に陸上部に転向したそうです。

高校も地元の高校に進学し、高校2年生の時に県高校新人大会の100mで、鹿児島県高校歴代8位の記録(10秒62)を残しています。

高校3年生の時には南九州高校総体の200mで、鹿児島県高校歴代14位の記録(21秒76)を残しています。

高校総体、大学の全日本インカレも出場はしましたが、決勝に進んだことは一度もなく、学生時代は目立った成績を残せませんでした。

そんな白石選手が4月の出雲陸上・織田記念では、多田修平選手らを抑え2週連続で優勝したのです。

去年まで100mのベストタイムが10秒32で無名の選手でした。

今年に入り、10秒19まで記録を伸ばし、憧れだった日本代表のリレーチームに選出されました。

ダイヤモンドリーグ・ロンドン大会では、男子400mリレーで日本の第4走者を任されました。

多田選手、小池選手、桐生選手とバトンを繋ぎ、バトンを受け取った白石選手は伸びやかな走りで先頭を走るイギリスに次いで2位でフィニッシュしました。

急遽構成されたチームのタイムは、37秒78の日本歴代3位の好タイムでした。

代表のリレーチームを率いる土江寛裕コーチは、

「白石くんよかったですよ!本当にうまく走ってくれて彼にとって大きな自信になると思います。」

と話しています。

無名の選手だった白石選手に転機が訪れたのは、今年に入ってからです。

大東文化大学では人望が厚く主将を任されました。

理論派として定評のある佐藤真太郎氏の指導で走りの基礎やウエイトトレーニングを地道にこなしてきました。

そして今年、思わぬ転機が訪れたのです。

自己ベスト10秒07の記録を持つ多田修平選手が佐藤氏の指導を仰ぐことになり、大東文化大学に拠点を移すことになりました。

白石選手はこの時、自分にとってはプラスしかなく、ありがたいと感じたそうです。

トップ選手から盗めることを盗んで自分に当てはめていけば、もっと成長できるのではないかと思ったそうです。

同級生でもある2人は、グランドで一緒に練習する事がおおくなり、日本トップクラスの技術を肌で感じられる毎日が続きました。

とくに刺激を受けたのは、スタートでした。

白石選手は、レース終盤から後半の加速が持ち味で、スタートはあまり得意ではありませんでした。

多田選手はスタート技術の定評があり、白石選手はまじかでスタートを研究し、自分の走りに落とし込めるよう、繰り返していきました。

そういった努力が、今年に入っての成長に繋がったのでしょうね。

多田選手に対して、「僕よりも多くの経験をしているので、まだまだ学ぶことがたくさんあるはずです。」と話し、謙虚な白石選手です。

謙虚で努力し続けることのできる、素晴らしい人柄という事もわかりました。

画像も紹介!

まとめ

今回は現在開催中の世界陸上ドーハ大会で、4×100mリレーに出場している白井黄良々選手について調査しました。

名前は、「しらいし きらら」と読み、

名前の命名者はお母さんでした。

お母さんが映画「幸福の黄色いハンカチ」の大ファンで、人に幸せを与えられる良い人になって欲しいという願いが込められていました。

鹿児島県の出身で、地元の出水商業高等学校から大東文化大学スポーツ科に進学し、今年(2019年)から株式会社セレスポに所属しています。

大学まではほぼ無名の選手でしたが、貴重な出会いや自らの努力で、トップ選手へと上り詰めてきました。

他のトップ選手の病気や怪我のための代役として選ばれた際には、つかんだチャンスを手繰り寄せ、日本のお家芸であるリレーのメンバーに選出されました。

予選では2走者としての役割をしっかり果たし、全体の3位で決勝進出となりました。

メダルが手に届く位置まで来ています。

決勝は、明日の朝(2019年10月5日、日本時間の6日未明)に行われます。

ぜひ、きれいな色のメダルを獲得してほしいですね。

がんばってください!

最後までお読みくださり、ありがとうございました。