こんにちは、るほりです。
世界陸上が開催中です。
先日の競歩50㎞で鈴木祐介選手が悲願の金メダルを獲得しました。
世界陸上、競歩での日本人初の金メダルです。
世界一美しいフォームと言われているフォームで先行逃げ切りの形でのフィニッシュでした。
鈴木雄介選手は、けがで苦しんだ期間があるので、けがを乗り越えての金メダルは、喜びもひとしおだったのではないでしょうか。
鈴木選手の暑さ対策や出身や経歴などについて、調査していきたいと思います。
鈴木雄介は帽子の暑さ対策でメダル獲得?
世界陸上の50㎞競歩で鈴木雄介選手が金メダルを獲得しました。
高温多湿の過酷な環境の中、スタートから先頭を歩き続け、最後まで1位を守り抜きました。
タイムは4時間4分20秒でした。
そして、東京オリンピックの代表に内定しました。
日本陸連の科学委員会の緻密な暑さ対策も金メダルを支えました。
ファンヒーター、ぬれたタオルを使用し、高温多湿な35度の環境を再現し、耐性を培いました。
合宿では練習前後で各自の体重、脱水量をチェックし、それを適切な給水量を知ることに役立てたり汗の成分のデータも採取し、ドリンクの内容物の改良に生かしています。
練習中にサーモグラフィー撮影をし、深部体温も確認するなど「体を冷やす水をかける技術」まで細部に気を配ります。
東京オリンピックで競歩は暑さ対策が勝負を分けると言われています。
今回の世界陸上でも暑さでリタイアが続出しました。
深部体温の上昇を抑えるのが勝利への道になります。
「手に氷」「帽子に氷を入れる」など個々に合う解決策を行います。
鈴木選手は給水所ごとに手、首、頭用の3種類の冷却グッズを入れた特製の巾着袋を用意していました。
科学委員会の緻密な暑さ対策によって、鈴木選手のパフォーマンスを維持することができ、最後まで素晴らしい歩きをすることができたんでしょうね。
世界陸上のドーハの経験を、東京オリンピック金メダル獲得に繋げてほしいですね!
鈴木祐介の出身や高校大学と経歴は?
【生年月日】1988年1月2日(2019年9月現在31歳)
【出身】 石川県能美郡辰口町
【中学】 辰口町立辰口中学校
【高校】 石川県立小松高等学校
【大学】 順天堂大学
【所属】 富士通
中学で陸上競技を本格的に始め、競歩選手としてスタートしました。
中学校時代には3,000競歩、5,000競歩で中学最高記録をマークしました。
高校に進学するとジュニア世代の国際大会に日本代表として10,000m競歩で出場するようになり、全国高等学校総合体育大会では、優勝しました。
2006年に順天堂大学へ進学すると、同年の世界ジュニア選手権では、10,000m競歩で銅メダルを獲得しました。
2010年大学を卒業し、富士通に入社しました。
2011年、世界陸上大邸大会20㎞競歩に出場、15kmまで先頭を走る積極的なレースを進め、終盤失速しましたが、8位入賞という結果でした。
選考基準を満たし、2012年のロンドンオリンピックに出場しましたが、36位という結果に終わりました。
2013年は日本選手権20㎞競歩で2年ぶり2度目の優勝を飾り、柳澤哲氏が保持していた同種目の日本記録を13年ぶりに更新しました。
しかし、世界陸上モスクワ大会では12位に終わり、2大会連続の入賞はなりませんでした。
2014年の仁川アジア選手権では、銀メダルを獲得しました。
2015年の全日本競歩能美大会では日本の男子として50年ぶりの世界新記録を樹立して優勝しました。
同年の世界陸上北京大会は、本番前から恥骨炎の影響と、痛み止めの副作用による胃炎の悪化により途中棄権に終わりました。
グロインペイン症候群でした。
グロインペイン症候群とは、ランニングや起き上がり、キック動作など腹部に力を入れたときに股関節周囲の鼠径(そけい)部に生じる痛みで、ボールを蹴るサッカー選手に多くみられ、1度なると治りにくいのが特徴です。
鈴木選手は股関節痛が完治せず、治療とリハビリに専念し、2年9か月にわたって公式戦への出場はありませんでした。
そして、2018年5月に復帰を果たします。
2019年3月の全日本競歩能美大会では4位に終わり、20㎞での世界陸上出場を逃しますが、50㎞に変えて挑んだ4月の日本選手権にて、日本記録で優勝し、世界陸上ドーハ大会の日本代表に選出されました。
先日(2019年9月28日)の世界陸上ドーハ大会男子50㎞競歩ではスタートからほぼ単独首位を守り通して4時間4分20秒で日本競歩史上初となる金メダルを獲得しました。
また東京オリンピック競歩日本代表選手に内定しました。
日本の世界選手権の金メダル獲得は、91年谷口浩美選手(男子マラソン)、93年浅利純子選手(女子マラソン)、97年鈴木博美選手(女子マラソン)11年室伏広治(男子ハンマー投げ)に続く史上5人目です。
ゴールテープを切った鈴木選手の脳裏には達成感と真っ暗闇にいた時期の記憶が交錯しました。
「ここまで3年近く競技ができない時期、自暴自棄になった時期もあった。自分で勝手に日本競歩界のパイオニアだと思っていた。日本競歩初のメダルを奪われた悔しさもあった。でも初金メダルは自分が取れた」。
日の丸の旗を持つと押し寄せてくる感情に涙が止まらなくなったと言います。
本番のレースは、想定より周囲のペースが遅く、いきなり飛び出す形になりました。
30㎞地点で2位と約3分差でした。
しかし、46人中、18人に棄権を強いた気温30度、湿度70%超の過酷な環境が鈴木選手にも襲いかかりました。
終盤は給水もできなくなり、足も限界に近づいていました。
必死で腕と足を前へ進め、最後は39秒差に詰められましたが、何とか粘り、金メダルを獲得しました。
まとめ
今回は、開催中の世界陸上ドーハ大会の男子50㎞競歩で金メダルを獲得した鈴木雄介選手について調査しました。
鈴木雄介選手は、給水所ごとに手、首、頭用の3種類の冷却グッズを入れた特製の巾着袋を用意し、暑さ対策をしました。
46人中、18人に棄権を強いた過酷なレースでした。
石川県能美郡辰口町の出身で、辰口町立辰口中学校、石川県立小松高等学校、順天堂大学を経て富士通に所属しています。
グロインペイン症候群で3年近く試合から離れ、治療とリハビリに専念し、2018年に復帰し、今回の金メダル獲得です。
故障で競技生活から離れた辛い経験と世界陸上ドーハ大会金メダル獲得という大きな武器を活かし、東京オリンピックでも金メダルを獲得してほしいです。
応援しています。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。