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舘野泉の息子や嫁と兄弟や経歴・学歴は?出身や中学高校と病気についても

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こんにちは、るほりです。

今回は、左手のピアニストである舘野泉さんについてお伝えしていきたいと思います。

82歳の舘野さんは、フィンランド在住のピアニストで、65歳の時にフィンランドでのリサイタル中に脳溢血で倒れ、後遺症としてが右半身に麻痺があられます。・

右半身に麻痺が残っても、前向きで、多くの方に感動を与えて下さっています。

日本で左手のピアノ作品によるリサイタルを開かれ、マスコミにも大きくとりあげられました。以後、演奏会、録音ならびに新作委嘱などを通して、左手ピアノ曲の普及に努めていらっしゃいます。

82歳にして現役のピアニストとして活躍されている舘野さんのご家族や出身地、学歴、経歴、病気についてお伝えしていきたいと思います。

舘野 泉のプロフィール

舘野 泉のプロフィール

【生年月日】 1936年11月10日

【年齢】   82歳(2019年7月)

【出身地】  東京市目黒区自由が丘

【小学校】  目黒区立緑ヶ丘小学校

【中学校】  慶応義塾普通部

【高校】   慶応義塾高等学校

【大学】   東京藝術大学音楽学部ピアノ科首席卒業

【職業】   ピアニスト

 

≪家族について≫

父:チェリスト、母:ピアニスト。母方は、明治維新まで7代にわたって仙台藩の能楽を司っていた家系。

妻(マリア・ホロパイネン)は、フィンランド人のソプラノ歌手。

息子のヤンネ舘野は、ヴァイオリニスト。

弟(舘野英司)は、チェリスト。

妹(鍋島晶子)は、ヴァイオリニスト。晶子の長女(鍋島真理)は、音楽学者。

末妹の広瀬悠子は、ピアニスト。

音楽一家ですね!

 

目黒区自由が丘に生まれ育ち、戦災を避けて栃木県小山市間中に一家で疎し、敗戦を迎えられました。

目黒区立緑ヶ丘小学校、慶応義塾普通部、慶応義塾高等学校、東京藝術大学音楽学部ピアノ科を卒業されています。

ピアノは、レオニード・コハンスキー、安川加寿子、豊増昇、イェルク・デームスに師事されました。

1964年よりヘルシンキに在住され、フィンランドの近現代作曲家の作品に取り組み続けておられます。日本シベリウス協会会長を務められています。

また、若い頃からセヴラックに惹かれ、自身のレパートリーに組み入れておられます。2002年には日本セヴラック協会を作り、顧問を務められています。

1968年、メシアン・コンクールで第2位。同年より国立シベリウス・アカデミーの教授を務められましたしたが、1981年以来フィンランド政府より芸術家年金を与えられ、以降教職を退いて演奏活動に専念されています。

2002年1月9日、フィンランド・タンペレでのリサイタル中に脳溢血で倒れられました。

脳溢血の後遺症として右半身に麻痺が残り、。リハビリを経ても右手が不自由のままでいらっしゃいました。

しかし、2003年の音楽祭で復帰を果たされています。

その中でスクリャービンやリパッテイによる、左手のためのピアノ作品を演奏されました。

それをきっかけに、本格的にこの分野を開拓していこうと決意され、翌年には日本で左手のピアノ作品によるリサイタルを開かれ、マスコミにも大きくとりあげられています。

以後、演奏会、録音ならびに新作委嘱などを通して、左手ピアノ曲の普及に努められています。

日本のクラシック音楽家で初めてファンクラブが設立されました。

2012年、東燃ゼネラル音楽賞を受賞されました。

舘野泉の病気について

舘野泉さんは、65歳の時に脳溢血で倒れられました。

脳溢血は、脳出血ともいいます。壊死(えし)した脳小動脈壁が高血圧などの影響で破綻(はたん)を生じ出血することです。

50歳以上の男性に多く、原因の大部分は動脈硬化症と高血圧症です。発作時は意識消失、嘔吐(おうと)、痙攣、顔面紅潮、脳圧亢進による徐脈などを呈し、呼吸は深く、四肢は運動不能で、大小便の失禁などを起こします。

発作後の脱落症状として、脳性片麻痺(まひ)(半身不随)を生じ,麻痺側では筋緊張が強くなります。

麻痺が長引くと筋委縮症を生じます。

舘野泉さんは、脳溢血の後遺症として右半身に麻痺が残られています。

「絶望している暇はない 左手のピアニストの超前向き思考」 舘野泉著 (小学館刊)が2017年に発刊されています。

本の中には、舘野さんの生き方のスタイルが35の言葉でまとめられています。

舘野さんは「病気で倒れた時の話になると、皆口々に、〝辛かったでしょう〟〝大変でしたね〟と言う。たしかに体は不自由になったし、両手でピアノを弾くこともできなくなった。でも、当の本人は、気に病みもしなかったし、絶望もしなかった」そうです。

倒れた直後は発語も歩行もままならなかったそうです。

普通なら「辛いリハビリに耐えなければならない」と考えるところを舘野さんは、

人生初のリハビリを振り返り《新しい体験に夢中で、絶望している暇なんてなかった》そして、そのリハビリを「楽しかった」と言われています。

「辛くなんかありません。だって、毎日、何かができるようになるから。もちろん、こけたり失敗したりすることも多いですよ。自分でもそれがおかしくて、家内に話すと一緒に笑ってくれた。しばらく経ってから、家内に〝リハビリ期間ほど、わが家に笑いが絶えなかった日はなかったわね〟と言われました」とも言われています。

しかし右手が復活することはなく、落ち込むこともあったそうですが、

『どんなにつらくて落ち込んでも、次の日に忘れてしまえばいい』

と言われています。

そして「左手のピアニスト」の誕生は突然だったそうです。

「病に倒れてから1年以上過ぎた頃、久しぶりに顔を合わせた息子のヤンネが、一枚の譜面を無言でピアノの上に置いたんです。イギリスの作曲家ブリッジの『左手のための三つのインプロヴィゼーション』でした。知らない曲ではありません。楽譜を見ていたら急に弾きたくなって、憑かれたように弾いたら、弾けた。左手一本で弾いているのに、音が立ち上がってきた。自分の目の前に、『左手の音楽』という見たこともない新しい世界が開けてきました」

舘野さんは、左手一本に集中したことで、むしろ音楽の本質が見えてきた、と言われています。

『右手を奪われたんじゃない、左手の音楽を与えられたのです』

なかなかそんな捉え方はできないですよね。

舘野さんはすべてにおいて前向きで、捉え方がすごすぎて尊敬します。

舘野さんは好奇心の塊で、いつまでも少年の心を持たれてるんでしょうね。

息子さんが無言で置かれた一枚の譜面が『左手のピアニスト』を誕生させました。

息子さんとの絆を感じますね。

まとめ

今回は、「左手のピアニスト」として82歳の現在も活躍されている舘野泉さんについてお伝えしました。

病気で右半身不随となっても、リハビリを楽しまれ、「右手を奪われたんじゃない、左手の音楽を与えられたのです」との前向きな捉え方をされる舘野泉さんを知り、とても感動しました。

捉え方次第で、人生は幸せにも不幸にも感じられると思います。

舘野さんはすべての事を前向きに捉えられ、本当に人生を楽しまれてると感じました。

素敵な笑顔が物語ってると思います。

悲しい事件が多い世の中ですが、舘野さんの著書などを通して、前向きに捉える人が増えてほしいと思いました。

それでは今日はここまでとさせていただきます。

また次回の「るほりの笑顔」でお会いしましょう。

ありがとうございました!